自己紹介

はじめまして

ペットの肖像画を描いている麻真(MAMA)です。

 

ペットの肖像画を描き始めたのは,
1匹の子犬が, ウチの倉庫に迷い込んで
きたことがきっかけでした。

 

その犬,ミルとの出会いが,
犬など飼えるはずもなかった私の生活を
犬中心の生活に変えていきました。

 


現在私は,
2匹の犬、2匹の猫と暮らしています。


今いるどの子とも,
飼うつもりで出会ったわけではありません。
みんな,縁あって
一緒に暮らすことになった子たちです。

 

特に犬たちとの出会いは特殊で,
ミルの4年後にやってきたラッキーも,
うちに来るまでの間に
どんな経験をしてきたのか全くわかりません。


ただ,飼い始めた頃のあの子たちの行動から
虐待されていたのでは?と感じています。

 


一般的な犬のしつけ方などの情報は
いくらでもありますが,
虐待された動物に接する方法は
調べてもほとんど見つかりませんでした。

 

失敗を繰り返しながら5年近く経って,
全く触れなかったミルに
やっと少し触れるようになったときには,
涙が出るほど嬉しかったです。

 

せっかくなかなかできない体験を
させてもらったのだから,
同じように頑張っている人たちの
参考になれば,と,
このブログを始めることにしました。

 


私は動物について
専門の勉強をしているわけではありません。


いろんな人に協力してもらいながら,
手探りで彼らとの関係を良くしようと
頑張ってきました。

 

昭和の常識が抜けず,
彼らに間違った対応も
たくさんしてきています。


それも含め,全部記事にさせてもらいます。


悪い部分は反面教師として,
参考にしていただけると幸いです。

 


はっきりした答えの出ない
ブログになると思いますが,
ひとつだけ断言できることがあります。


愛情があれば,時間はかかっても
必ず関係は良くなっていくということです。

 

大変なこともたくさんありましたが,
今,4匹との暮らしはとても幸せです。

 

残念ながら,
もう亡くなってしまった子たちもいます。


でも,一緒に過ごしている間に
自分にできる精一杯のことをしていれば,
きっと,短くても幸せだったと
思って旅立ってくれたはずだと信じています。

 


遠い昔の後悔があるから,
もう二度と不幸な見送り方はしないと
心に誓って

これからも
目の前にいる子たちと関わっていきます。

 

 

それでは,
ミルと出会った頃や,それまでの私について
もう少し詳しくお話しします。

 

ミルと出会った頃の私

ミルとの出会いやこれまでの過程については

ミルのページ↓で詳しく書いています。

https://d-marron.com/miru

ミルがウチの倉庫に迷い込んで来たのは
2012年。


その頃の私は,
高校美術非常勤の仕事の合間をぬい,
寝る時間を削って毎年1枚,
東京の展覧会に出品するために
F60号の絵を描く生活をしていました。


私の場合,F60号なら,1枚の絵の前に
平均200時間座っていないと仕上がりません。
絵を描くための資料集めなどから考えると,
もっと多くの時間がかかります。


材料費,年会費,出品にかかわる費用は
年間10万を超えました。

非常勤の仕事で
ひとりで子供を育てていた私には
大きな出費です。

 

高校生の娘にもバイトをしてもらい,
文化祭前の忙しい時期には
夕飯も作ってもらう生活。

 

絵を描くことが,時間的にも経済的にも
私を苦しめ,娘にも迷惑をかけていました。

 


それでも出品をやめることはできませんでした。

 

そこが,唯一,
私を表現者と認めてもらえる
場所だったからです。


長く続けたことで
何とか正会員という肩書も手にしていました。

退会すると,

その肩書も
作品を発表する場所もなくなってしまいます。

 

ミルが現れたのは
悶々としながら,
そんな生活を続けていた苦しい時期でした。

 


猫が4匹いたし,
犬を飼うなんてことは
考えたこともありませんでした。 

 

でも,その仔犬はずっとうちに
棲みついてしまいました。

 

3週間くらい飼ってくれる人を
探し回ったけれど,
「大きくなりそう」と言うと
みんな無理だと言います。

 

飼えるわけないと反対する娘を説得し,
結局うちで飼うことになりました。


そして,首輪をつけようとしたときに
初めてミルが普通の犬ではないことに
気づいたのです。

 


麻酔を使って首輪をつけたことで
ミルとの間に大きな溝ができてしまい,
娘と2人,どうにか距離を縮めようと
頑張る日々が始まりました。

 

娘の上京と 50歳という節目

 

ミルを飼い始めて1年が過ぎ,
高校を卒業した娘は東京に就職を決め,
上京していきました。

 

気が付くと,
50歳という大きな節目が
目の前の迫っていました。

 

50歳というと,
少なくとも,人生は登り坂ではありません。

 

「いつかやろう。」

ずっと先延ばしにしてきたことが
ありました。

 

もう,残された時間はそれほど多くないんだ。

これからは,自分が本当にやりたいことを
やらなきゃいけない。

 


私が本当にやりたいこと。


それは,自分で作詞作曲をして歌う
シンガーソングライターの活動でした。

 

文章を描くことが昔から好きで,
高校時代は文芸部に入っていました。


大学時代からは,
文章を書くことで生きていけないかという
大それた夢を持つように。


直接人と関わることが苦手だから,
文章を介して
他人とコミュニケーションを取りたいと
思い始めたのです。


でも,長い文章はまとまらず,
小説を書こうとしてもうまくいきません。

 

日々の生活に追われ,
夢は時に消えたり姿を現したり。


そのうち,生徒との関わりの中で
直接人と接することも
できるようになってきて,


ずっとこのままでもいいかな。

そう思うこともありました。

 

でも,完全に火が消えてしまうことはなく,

「いつかやろう。」

という気持ちが,
常に小さく頭の中にあるまま,
どんどん年を重ねていきました。

 

そのうち結婚し,
娘を生んですぐ離婚。

またしばらく,
夢どころではない時間を過ごし,
一度学校を離れます。

 

水彩画教室をさせてもらいますが,
それだけで娘を養う収入は得られず,
バイトや中学の講師などをかけもち。

 

そして,高校に勤め始めた35歳の頃,
バンドをやっている生徒たちに出会い,
こんな表現方法があるんだということを
知ったのです。

 

長い文章が苦手な私には,
簡潔な短い言葉を曲に乗せて歌うことが,
伝えたいことを人の心に届けるのに
一番いい方法かもしれない。

 

やってみると楽しくなり,
思いついたことをプリントの裏に書いて,
曲をつけたりしていました。

 

でも,気づいたそのとき既に35歳。
音楽のプロを目指すには手遅れです。

 

自分が手遅れだから,
その時5才だった娘を
代わりにシンガーソングライターに
育てようと誘導しました。

 

私の目論見通り,
娘は14歳からピアノを使って曲を作り始め
時々弾き語りライブなども
するようになっていました。


私にはとてもできない
印象的なイントロを作ったりします。

朝 https://www.youtube.com/watch?v=skuQsKgMONc

背中 https://www.youtube.com/watch?v=gdgf0YbdfJ8

 


小学校に上がる前に連れて行ったライブで
なぜかドラムに魅せられたらしく,
6才からそちらも習っていました。

娘はバンドや吹奏楽で
ドラムを叩くこともありました。


ひとりでステージに上がる勇気のない私は,
そんな娘の後ろについて出演し,
時々歌わせてもらっていました。


その時のユニット名が
『美緩と麻真』でした。


美緩(みひろ)は娘の名前。

麻真(まま)という名前は,
お母さんの「ママ」に当て字をしたものです。


その名前を
絵を描く時にも使うようになりました。

 


娘はステージの上にいるのが普通
という環境で育ってくれました。

失敗ばかりの子育ての中で,
これだけは成功だったと思っています。


なぜなら


シンガーソングライターとして
表現してみたいと思ったとき,
私に一番大きくのしかかってきたのは,

”ステージの上は別世界”

という自分の中の常識だったからです。

 

曲を作ることはやってみても,
自分が人前で歌う姿を
想像することができません。


ライブは好きで,観に行っていましたが,
ステージの上は特別な人がいる世界。

私はいつでも客席にいる人で,
自分がそこに上がることなど
考えたこともなかったのです。

 

35歳から,その壁を越えようとあがき,
初めてステージに上がるまでに
4年もかかってしまいました。


始めたのが遅かったのに加え,
長い回り道をしてしまった私。


その様子を小説にしたのが
「ライバルは17才」
です。

https://ncode.syosetu.com/n4502d/

https://ncode.syosetu.com/n4505d/

 

娘にはこんな思いはさせず,
もし表現して生きる選択をしたなら
すぐスタートラインに立てるように
しておいてやりたいと思っていました。

 

 

娘には,自分の人生に干渉しすぎる私への
反発があったと思います。


東京へは,歌ではなく,
ドラムを追求したいと言って出ていきました。


しかも,フリーターではなく,
ちゃんと就職してそれをやると。

 

ずっと非常勤や臨時で
一度もまともに就職したことのない私と違い
足元もちゃんと固めています。

 

信じて送り出すこと以外,
娘に対して私ができることは
もうありませんでした。

 

そんな娘に送った曲が

『Milky Way』

です。


下手なギターを自分で弾いて,
4日もかけて
レコーディングしたバージョンです。

https://www.youtube.com/watch?v=J_RPsvG6vxk

 

そんなわけで,
娘に押し付けていた夢は
自分で追うしかなくなりました。

 

それまでは,慣れた娘を前に押し出して
おまけでステージに
ついて上がっていたけれど,

歌いたいなら
ひとりで勇気を振り絞るしかなくなりました。

 

少しずつですが,
頑張ってライブに挑戦しました。

 

そして,

50歳の節目に
それまでに作っていた曲をまとめて,
自主制作のアルバムを作ることにしました。

 

完成していたのは,15年でたった8曲。


ジャケットや歌詞カードに
自分の絵を4枚入れて

『夢を追うのが夢だった』

というタイトルをつけました。


夢を真剣に追いかけることを
後回しにしてきた私の
心からの言葉でした。

 

そんなつもりで描いたわけではない絵が,
ジャケットにピッタリはまりました。

絵を描く時も曲を作るときも
テーマは同じなので,
考えてみれば当然のことかもしれません。

 

こちらから曲が聞けます。

https://www.youtube.com/watch?v=CSjw3xs34o8

CD販売サイト

https://mihirotomama.stores.jp/

 


娘も東京から助っ人に帰って来てもらい,

『夏休みの思い出 with 美緩と麻真』 

と銘打って,
CDのお披露目ライブを開催しました。

 

ジャケットに使った絵も展示していただき,
たくさんのお客様に
来ていただくことができました。

 

 

絵をやめる?

 


これを機に,
私は思い切って20年以上続けた絵の会を
退会することにしました。

 

その頃の私は,
音楽でメッセージを発信できるなら,
絵の会への出品だけでなく,
絵を描くことすべて 
やめてもいいと思っていました。

 

絵よりも言葉のほうが,
はっきりとメッセージを伝えることができる

その時の私はそう思っていたのです。

 

でも,20年積み上げた絵の世界で
私のファンだと言ってくださる人はいても,
始めて年数の浅い音楽の世界で,
ファンを作ることは
なかなかできませんでした。

 

いつになったら,たくさんの人に
メッセージを届けられるところまで
いけるのか,先は全く見えません。

 

音楽についてはちゃんと勉強したことがなく
ほとんど独学です。


気持ちは焦っても,
基礎的な知識もなく,
実力が追いつかないのです。

 


やはり,絵をやめてしまったら,
私は表現者としての力を失ってしまう。

絵もやめるべきではないのだと気づきました。

 

では,絵で何を伝えるのか?

 

東京に最後に出品した絵は,
殺処分される寸前に救われ,
災害救助犬になったワンコの笑顔でした。


この絵では,
「生きる喜び」を
表現できた実感がありました。

 

言葉ではうまく表現できない気持ちを
絵で表現することができるのです。

言葉が通じない相手にも,
絵でなら想いを伝えることが
できるかもしれません。

 

絵も音楽も,
どちらもメッセージを伝えるツールとして,
場合によって使い分けながらやっていこう。


そう決めました。

 


まず,
虐待されていたと思われる
ミルの気持ちを描いてみよう。


これは決して言葉では表現できません。
私にもミルの気持ちはわからないのですから。


だけど,絵にすれば,
ミルの姿や表情から
私が感じているような何かが
他の人にも伝わるはずです。

 

そう思って,60~70時間かけて
最初に仕上げたのが,
F20号の「キミの瞳が変わるまで」です。

キミの瞳が変わるまで F20号

絵を描く作業はいつも孤独ですが,
キャンバスの中のミルに
話しかけながら描いていると,
不思議と孤独感はありませんでした。

 


うちにたどり着くまでに,
ミルがどんな経験をしてきたのか,
私にはわかりません。

うちに来てから,
私たちの間違った接し方に,
どんな不安や恐怖を感じたのかも…

 


話すことのできないミルの気持ちを,
彼の目とポーズで
表現することができた気がしました。

 


そして次に,そのころ飼っていた猫たちを
描き始めました。


腎臓病を患っていたサラ。
追いかけて同じ病気になった弟のチャー。


そして,一番年上だけど,
なかなかいい写真を撮らせてくれなくて,
最後に描き始めたルナ。


この子たちはもう
みんな空に帰ってしまいましたが,
絵の中からずっと私を見守ってくれています。

 


今はペットも家族という時代。

亡くしたとき,
ペットロスになってしまう人も
多いと聞きます。


人間よりも寿命の短いペットたちが
先に逝ってしまったとき,
こんな風に絵の中から見ていてくれれば,
寂しさも少しは軽くなるかもしれません。


絵を描くことは苦しくて,
仕事にしたいとは思っていなかったけれど,
誰かの役に立つのなら,
ペットの肖像画を仕事にできるかもしれない。

そう思うようになりました。


本当にその子がそこにいるように,
等身大で全身を描こう。


そんなこだわりを持って,

ペットの肖像画
Dear マロン

を始めました。

 


1枚1枚
絵が仕上がると達成感はありましたが,
やはり,絵を描くことは今でも苦しいです。


私は元々,絵を描くということが
それほど好きではないようです。

 


それなら,なぜ絵を描き始めたのか。
なぜ美術の教員免許を取ったのか。

そこまでさかのぼってみます。

 

学生時代からの私


中学時代,写生大会で描いた絵が
文部大臣奨励賞という賞をいただきました。

それまで特別絵がうまいと言われたことも
なかったので,たまたま描いた
太鼓橋と紅葉が映る池というモチーフが
よかったのだと思います。


この章をきっかけに,当時の美術の先生に
美術の道を勧められました。

 

中学生の私は,
自分の意志がはっきりしていなくて,
先生や親が言うことを自分の意見のように
思うところがありました。


別に絵を描くのは嫌いじゃないし,
親も先生もそう言うし,
なんとなく「将来は芸大」
と思っていました。

 

しかし,高校に入学した頃から
親が経営する縫製工場の状況が悪化。

いつも間にか従業員さんはいなくなり,
父親も働かなくなっていました。

 

母が夜中までミシンの内職をして
家族を養っている状態で,
高校2年生になり,
進路を決めなければならない時期がきました。

 


働かない父親は,
相変わらず芸大に行けと言っていました。

ご飯も食べさせてくれないのに,
お金のかかる芸大などと
よく言うものだとおかしくなりました。


この頃にはもう,父親と口をきくことは
ほとんどありませんでした。

近くに刃物があったら
刺してしまいそうなくらい憎かったので,
できる限り家の中ですれ違わないように
気をつけていました。

 

担任の先生は,様子のおかしい私を心配し,
呼び出しては進路の話をしてくださいました。

 

でも,その頃の私は
自分の未来に何の希望も持てず,

先生に「5年後のお前が…」と言われれば,

「生きているかどうかもわからない
 先の話をしても仕方がない」

などと,話の腰を折ったりしていました。

 

妹がまだ中学生だったので,
私が働いてこの場を乗り切るしかない。

担任の先生にそのことを告げると,

「お前の性格なら,
 大学に行ったほうがいい。」


と,お金のかからない
国立大学を目指すことを勧められました。


「たとえ国立であっても,
 行けるお金はない。」

担任の先生と何度も喧嘩をしました。

 

先生は,奨学金や授業料免除の制度など,
お金の問題をクリアする方法をいろいろと
調べてくださいました。

 

寮に入ってバイトをすれば,
親の仕送りがなくてもやっていけるとのこと。

 

毎日のように呼び出して
説得してくでさった先生のおかげで,
私はやっと,大学に行くことを前提に
自分の人生を自分で作っていくことを
考え始めました。

 

でも,何学部を受験すればいい?

 

その頃の私は,学校に遅れて行ったり,
学校にいても授業をさぼったり,
生きている意味もわからなくなっていました。

将来どんな職業に就きたいかなんて
考えたこともありません。

 

ここでちゃんと考えないと,
私という人間は消えてなくなる。

私は,今,生きるか死ぬかの
分かれ目に立っているんだ。


生きていたい!


私は必死で考えました。

 


誰かの役に立たなければ,
私が生まれてきた意味がない。


こんな私にできる仕事はなんだろう。

 

まず進路の本を見て,
できない職業を消去していきました。


一日中机についているのは向いてない。

とっさの判断とすばやい行動を求められる
仕事は無理。

退屈な仕事は続かない。

取り替えのきく歯車になるのはいやだ。


ほとんどの仕事が
候補からはずされていきました。

 

毎日変化があって,
心を病んだことが人の役に立つ場所。

だれがやっても同じ答えが出るのじゃなく,
私がやったら私なりの結果が出る仕事。

 

その答えは,案外身近なところにありました。

すべての条件を満たす職場は,学校でした。

 

「勉強しろ」という立場には
なりたくなかったので,
養護教諭がいいと思いましたが,先生に

「採用が少ないからやめた方がいい」

と言われました。


では他に,生徒と話す時間もあって,
「勉強しろ」と言わないでいいのは…


 !!
美術があるじゃないか!


芸大を受けることを
考えていた時期もあったのですから,
それが一番しっくりきます。


デッサンの実技は準備が間に合わないので,
筆記試験だけで受けられる小学校課程で受験。

入学してから副専攻で美術を取れば,
中高の美術の免許が取れるので,
その方法で進むことにしました。

 

単純だった中学時代,
たまたまテストでいい点を取ったことを
褒められたのがうれしくて,
解答用紙を正解で埋めるコツだけは
身につけていました。


そんなわけで,1年間必死で勉強して
国立大学の教育学部に入学しました。

 


寮に入り,
バイトをして切り詰めて,大学は何とか
仕送りなしで通うことができました。

が,教員採用試験を受ける気には
なりませんでした。

 

文章を書くことで,
生活することができないかという,
今思えば無謀な夢を見始めていたのです。

 


大学4年生の夏休み,
必死で採用試験の勉強をしている同級生に
白い目で見られながら,
私は北海道に一人旅に出かけました。


就職せず,小説を書こう。
逃げ道をふさぐつもりの行動でした。

 

でも,
北海道から帰ってきたら卒業制作に追われ,
猶予が欲しくて半年伸ばした大学生活も
バイトに追われて体調を崩す始末。


結局小説は書けないまま,
実家に帰って地元の中学校の臨時教員として
勤めることになりました。

 

正式な教員になることに抵抗があって,
採用試験を一応2度ほど受けましたが,
それ以降は受けませんでした。

 

文章を書くことで
生きていきたいという夢は捨てられない。


でも,その日のことで手いっぱいで,
実際に文章を書いて
どこかに応募するわけでもない。

 

日々目の前にいる生徒たちとのやりとりも
大変だけどそれはそれで充実していて,
ずっとこのままでいいと思う瞬間もあります。

 

夢は 

「いつか。」

 と,先送りに。

 

そのうち結婚して,
娘が生まれてすぐ離婚。

また,夢どころではない時間を過ごします。

 

一旦学校を離れ,仕事を探しているときに,
中学の時芸大を勧めてくださった
あの美術の先生から,水彩画教室を
引き継がないかというお話をいただきました。


「人に教えるなら,
 自分も描かないといけない」
 

と言われ,先生が入られている水彩画会に
出品することになったのです。

 

パートや中学の非常勤講師もしながら,
3,4年水彩画教室をやらせてもらいました。

 

でも,生活はとても苦しく,
娘とふたり食べていくのは無理がありました。

 

どうにかしなくちゃと思っていた2000年,
高校の臨時教諭の話をいただきました。


水彩教室を離れて
フルタイムで学校に勤めることになります。

 

そして,この高校で
バンドをやっている生徒たちと出会い,
短い文章に曲をつけるという方法が
自分に合っているのではと気づくのです。

 

ここからは,前半にお話しした通りです。

 

それから20年以上,
臨時の後は非常勤で
高校に勤めさせてもらうことになり,
今に至ります。
  

  
その間にミルと出会い,
娘が上京し,
CDを作ったり,ライブをしたり,
ペットの肖像画の仕事も始めました。

 

そして 今


なりゆきのまま,何も成さず
回り道ばかりしてきたような人生ですが,

出会ってきたたくさんの人たち,
一緒に暮らすことになったペットたち,
そして,自分の過ごしてきた時間が
みな愛おしく,
これでよかったと思っています。

 


幸せなことに,
こうして自分が書いた文章を
人に読んでもらえる時代が来ました。

伝えたいと思っていたことを,
ここからどんどん発信していきます。

 

犬や猫を飼っていて気づいたことや,
絵や画材などについて
お役に立てそうな情報など,
たくさんお伝えできればと思います。

 

 

お写真をお預かりして
私がペットの肖像画描くだけでなく,

ご自分でわが子を描いてみたい方の
ペットの肖像画講座なども公開しています。↓

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おつきあいいただけると嬉しいです。

 

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